こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

今を大好きになる

半年以上ぶりに書く。書かなかった間に、また自分の生活は大きく変わっていた。

何が大きいかというと、1年半ぶりに恋人ができた。別に恋人が欲しいわけでもなかったけれど、恋人のことを初めて見た4月の入学式の日、すでにもう、なんとなく大好きだった。顔が大好きだし、なんかちょっと変な人っぽいな〜みたいなのも好きだった。それだけならまだしも、元恋人や好きだった人たちと一部が共通している名前だったので、あ〜〜〜、やっぱりね、という感想すら抱いていた。名前のこともあって、正直、この人となんかあるかもしれないな、とは思っていた。それからちょうど半年で付き合うことになった。これを書いている今は付き合って半年が過ぎた頃。顔が好きで、雰囲気もなんとなく好きで、でも付き合っちゃうと面倒だからたま〜にお話したいし適度に仲良くできたらいいな、くらいに思っていた人と付き合っているなんて不思議だ。しかも、今回は付き合う前に手を出されることもなくて、ちゃんと3回デートしたし、その日にセックスしたりもしなかった。初めて、好きになった人とまともな始まり方で交際している、と自分でも驚きだったし、周囲の人間にも驚かれていた。前回書いた心の処女をやっと殺せた。でもいざその時が来てみれば、殺せたというよりも非処女になった!くらいの感覚かもしれない。あんまり外でデートしたことがないから外でデートしたい、という私の願望も聞いてくれるのが嬉しい。

10月の末に家族が札幌にきた。ちょっとピリピリしていたこととか、父親への感情に気がついてしまったこととか、そんなのが積み重なって、家族と一緒にいることが辛かったとき。どう接したらいいかわからなくて、父母に対して優しくしたいのに、優しくすると疲れちゃってもう何もできなくなってしまって、ぐずぐずになっている私に、恋人は、大丈夫だよと言った。「ぼくは、あなたの家のこととか抱えているものを全部はわかってあげられないけれど、わかりたいと思ってるよ。ぼくがいるから、大丈夫。」と。この言葉が、たまらなく嬉しかった。この言葉で、あ、私、この人となら大丈夫かもしれない、と思った。極端にいうと、この人となら結婚できるかも、と思った。付き合ってすぐの話だけど、ずっとこの人と一緒にいる、ということがちょっと想像できた。

相手を大事にしたいし、結婚したいし、隠し事をしたくないから、男遊びみたいなことも全くしなくなった。元恋人と付き合っている時は何回も浮気をしていたし、あわよくば、みたいなこともよくあった。でも、恋人と付き合い始めてから、その感情は全くなくなった。すごく満たされている。私のことだけ見ていてくれるし、嫌なことはしない。ちょっと意味わかんないこともあるけど、ちゃんと話し合いができる。むしろ、私の方が怒りすぎてしまうから反省している。

そんな日々を昨年10月から過ごしているのだが、年の明けた2月には元恋人と再会した。隠し事をしたくないと書いておきながらなんなんだ?という感じだが、これは恋人には言っていない。言えなかった。嫌がることはしたくない、から隠す、というのも失礼な話だとは思っている。でもきっとまだ私が独り身だったら、元恋人とは会えなかったと思う。元恋人は、同じサークルの、唯一のパート同期だった。最初は5人いた同期は、最後は私と彼の2人になった。1年生の秋からセフレみたいなものだったから、お互いがお互いの抑制になって、最後まで生き延びていたのだと思う。付き合っていても別れてからも、なんだあのクズ男は!という感覚なのだが、新しい恋人と付き合い始めてから、あの元恋人への感情も少しずつ変わってきた。まず、もう関わらなくていいや、と思っていたけれど、だんだんもう一度会ってきちんと話がしたい、と思えるようになった。3年間のサークルを無事引退まで続けられたのは、抑制し合っていたからだけれど、やはり元恋人のおかげだったと思う。そして、お互いにひとりしかいない同期だし、3年間ほぼ毎日顔を合わせていたのにもう会えなくなる、というのが勝手ながら寂しかった。大学の4年間で、一番顔を合わせて長い時間を一緒に過ごしていたのは、元恋人だったと思う。そこに私の存在していた証みたいなのがあると思ったし、全部触れられない幻みたいな時間に変わってしまうのは悲しかった。なので、2月の帰省の、札幌に戻る前日、元恋人と会う約束を取り付けたのだった。つくづく自分勝手だなと思う。

恋人には、元恋人と会うとは言わずに、和解できずに離れてしまった同期と会うとだけ言った。ずるいとは思っている。この日の待ち合わせは渋谷の駅前にした。本当は新宿の方が良かったんだけれども、私も元恋人も新宿が好きだったし、外で会う時は大抵新宿だったから、なんか思い出しちゃって嫌だなと思っての渋谷。それに、元恋人から卒業するならやっぱり渋谷かなって(マイヘアの受け売り)。先に着いてしまったのでずっと倒れそうなくらいに変な汗をかいて待っていたのだが、2年ぶりに会った元恋人は髪がシルバーになっていて、「えっっっっっ!?!?!?ねえどしたのそれ!?!?!?」という驚きでドキドキなんてどっかいっちゃった。面白かったなあ。就職する前に染めたくてさー、と、語尾を伸ばして話す元恋人があまりに懐かしくて、ああ、そういえばこの人って本当は結構のんびりした人だったっけな、と思い出したり。慣れない渋谷なので、適当な地下でクリームソーダを飲む。紫のクリームソーダを選ぶ私に、「あなた本当に変わらないね」と笑っている姿に、いろいろ蘇ってどきっとしてしまった。

この日、私が一番伝えたかったのは、「ごめんね」だった。私の都合で振り回してしまったこともあるし、最後なんて一方的に切ってしまったし、そういう全部のことを、自己満足だったとしても、謝りたかった。なんて言ってくれたのかもう忘れちゃったけど、むしろ俺の方が、みたいな感じだった気がする。指輪のこととか、結局れいちゃんが好きな話とか、もう正直てめえいい加減にしろよ、と思わなくはなかったけど、でももうこの人って私の恋人じゃないんだよなって、いい意味でも悪い意味でも思った。ずっとあなたと仲良しのれいちゃんのことが嫌で、そのことで何回もけんかして泣いてきたのにね、結局れいちゃんなんだね、もういいよ、そんなことずっとわかってたよってね。別れたのにまたフラれたみたいな気分になっちゃって笑えた。でもさ、ばかだからやっぱり元恋人のことが今でもちょっと大切なんだなって気づいてしまって、あーあ、ほんと嫌だなって思った。そんなこと気づいたところで誰も幸せになれないのにね。それでもまた会えなくなっちゃうのが嫌で、伊豆で撮った写ルンですを札幌で一緒に現像する約束までしちゃったし、また会ってくれる?とか聞いちゃった。本当ばか。そんな話をして、帰り際に「聞き忘れたんだけどさ、今の彼氏の性癖何?」って聞いてきたのが、すごく最低ですごく好きな元恋人だった。嫌すぎるね。渋谷駅で、元恋人はサークルの後輩と飲みにいったし、私はそのまま祖母の家に帰った。帰り際も、「じゃまたね、いってらっしゃい」とか言っちゃって反省。まだ好きなのかも、なんてね。

そんなこんなで、とりあえず元恋人と和解することに成功した。2年もかけちゃった。でも、和解したからすごく心は軽くなったし、やっぱり前を向けた気がする。会ってよかったなと思った。とりあえずこの半年間の私生活はこんなもんかしら。誰も見てないと思って好き勝手に書いているのだけど、見返してみると結構忘れていたことが多くて、ああ、私そんな風に思ってたんだ、と面白くなる。やっぱり書くっていいわね。

 

「れいちゃんと付き合えるといいね。でもね、他のどんな女でもいいけど、れいちゃんとだけは付き合ってほしくないんだよね。だから、やっぱりれいちゃんとはうまくいかないといいねって、そう願ってるね。」

北国の暮らしを始めてはや4ヶ月、ようやく街の匂いが肌に馴染むようになってきた。この街では暑い日でもカーディガンを一枚持っていないと不安になる。新しい暮らしになったからと言っても、変わったのは生活環境と学校だけで、たまに地元の友達が遊びにきてくれたり、また変な男に捕まったり、自担を追いかけてあっちこっちへ行ったり、結構都会にいた時みたいに、相変わらずな生活をしている。ただ、春までは自担と同じ土地で同じ天気や空気を共有していたのに、今は自担の気配がかけらもない土地で暮らしているという事実がつらいなとは思っている。でもそれ以外はわりと穏やかに暮らせていたと思う。”思う”と過去形なのは、まあやはりまたゴミに捕まってしまったことが関係している。

去年の春、当時付き合っていた人と別れて、一年間自分と自担のことを中心に暮らしてきた。その期間はずっと楽しかったけど彼氏ほしいな〜と思うことはあったし、来年は環境が変わるし、いい人見つかったらいいなとは思っていた。ゴミとのことはもういろんなところで話しているので今更ここに書くまでもないのだけれど、あの一連の出来事の中で一番引っかかっているのは「綺麗」とか「可愛い」とかそんなわかりきっている性欲のための言葉に一喜一憂してしまったことと、初めにその手を使って後から欲を見せられて、私の自尊心をズタズタにされたなあという気持ちになっていることである。過去の恋愛経験と言えば、いつも報われない恋ばかりだし、元恋人とは体の関係から始まっていたし、思えば純粋に好きだった人と純粋なお付き合いに至ったことがなかった。いつの間にかそういう色恋事は得意になっていたのに、いつまでも心の中の恋に恋する処女を殺せない。だから、そんなわけないと思っていてもあの人の発した言葉がちょっと嬉しくなってしまっていた。でもそれってほんとに最悪な手口だなって思うし、なんでそういうことが平気でできるんだろうなあと不思議になる。もう初めからセフレに立候補します!とか言ってくれればいいのになあみたいな。4年付き合ってて実家に入り浸りの彼女がいて、でも3年レスで、可愛い女の子とお泊まりデートがしたかった、やれなくてもよかった、だと、、、?その後に同期から聞いた話では、うちに泊まった1週間後に別の研究室の先輩と飲みに行ってそういう感じになったらしい。えっ「やれなくてもよかった」って何……?意味がわからなすぎる。むかつくよ〜〜〜。

最近文通している友達との間で、私の「彼氏ほしい」は「甘えたい」なんだね、という話をしている。でもその「甘えたい」って誰に甘やかされたいかというと、やはり男になってしまって、でも男には運がないし、好きになれる人がいない。あと心の底から好きになれて自担より優先したい男がいない。まあそこで自担が出てくるあたりがダメなんだろうなとわかりつつも、結局こうなった時に自分がすがりたくなるのって自担だし、自担は私のことを知らないけどいつも楽しくいさせてくれるし、逆に言えば知らないから嫌なことしないし。自担は多分一生結婚できないから、別に私も結婚しなくていいや〜独身ババアになっても独身ジジイの自担がいたら安心だろ〜〜と完全に自担をナメ腐っている。まあ大抵こういう人がさっさと結婚するんですけどね、フッ。そんなことはさておき。だんだん何を書きたかったのかわからなくなってしまったのだけど、多分今日これを書きたくなったのは、夢に元彼が出てきたからだと思う。先日、同期のマブ(仮)と飲んだ時にノリで元彼の写真を全部消した。その前日にゴミのことを考えすぎて元彼ってよかったなあ……という怖いことを考えてしまったので、それを話したら今すぐ消せ!となったので消した。別に元彼と再会してもヨリを戻す気は一切ないし、まあ結構どうでもいいのだけど、普通にたまに夢に出てくる。てか別れてからの方が夢に出てきてるのなんなんだろう。最近はなんとなく元彼のSNSのいいね警察をしていて、女を匂わせるようないいねをたくさんしているのを見てあれ〜?と思ったから出てきたんかなとは思う。今日の夢では、元彼が新しく女の子と付き合い始めたことを知る夢で、それがサークルの年上の後輩という設定で、もちろん全然知らないというか夢の中の人だからどうでもよかったんだけど、私がめちゃくちゃ敵対視されるみたいな夢でウワァなんかしんど……ってなった。私もなんとも思ってないつもりでもいつまでもこんなところに書き続けてしまうし、SNSをチェックしたりしてるし、それがダメなんだなあなどとぼんやり。マブ(仮)のことはめっちゃ好きだけど、まあこれはほんとにマブ路線なんだろうな。

とまあ、こんな感じで生活しています。昨日まで自担を追いかけて大阪ひとり旅をしていて、久しぶりにホテルののりの効いたシーツで寝て、楽しい気持ちになったし、ちょっぴり心が潤った気がする。夏だから楽しい気持ちになれることをしたいなあ。

死ぬまで一生愛されてると思ってたよ

いつの間にか秋になっていた。マスクをしていると街の季節が変わっていくことに気がつきにくくなってしまう。景色だけでも秋の訪れは感じるけれど、やっぱり季節は街の匂いで感じるものだと思っているので、嗅覚を閉じて生活するのはなかなか苦しい。

最近、人生の転機が訪れた。きっと自分の人生の大きな分かれ目になると思う。二つの道があって、どっちを選んでも後悔すると思っているけれど、とりあえず私は北に続く道を取ってみたところである。それが今までの私の目標だったしね。つまり、目標達成ということではあるのだけど、本当にそれが正解なのか迷っているようだ。多分これはキャリア的には正解だけど、自分の気持ち的にはあんまり正解じゃないのかな〜と思っている。でも、私は人生に「エッセイに書けるような面白い人生を送る」というモットーを掲げていて、迷った時はいつも10年後の自分が酒の席でおもろいネタにできるのはどっちか、という観点から選ぶようにしている。私自身はそんなに面白い人ではないから、自分の経験くらいは面白いことを選ぶようにしたいと思っている。いろんな経験をしてきた人の文章とか話って面白いじゃないですか、やっぱり。だからとりあえずはおもろいことを求めていこうと思っている。

そんなこんなで一応進路が決定して、伝えたい人には一通り伝え終わった。お世話になっているゼミの先生はとても喜んでくださっていた。なんなら先生だけでなくご家族も一緒に喜んでくれていたそうで、本当にうまくいってよかったと思った。先生にはずっと面倒を見てもらっていたので、今まで先生にしていただいたことを無駄にせずに済んだ安心感がすごい。他にも家族はもちろん、いろんな友達が喜んでくれると同時に寂しいと言ってくれて、あー、愛されてるなあと思った。もちろん、寂しいって言わないでいてくれる優しさもきちんと受け取っている。そうやっていろんな人が応援していてくれて、これからのことも応援してくれることに、ずっと胸がじんわりと温かい。高校生の時にお世話になっていた人にも連絡をしたら今度2年ぶりにご飯に行くことになって、まだ先のことだけどなんか嬉しくて毎日るんるんしてしまっている。

おおかたの大切な人には、ゆっくりではあるけれども時間があるときに少しずつ連絡をしていて、だけどやっぱり報告も迷う人もいることも事実で、高校生の時に大好きだった人と、元彼にはどうするかずっと考えあぐねている。後者についてはもうSNSを通じて知っていることは知っているのだけれど、やっぱり自分できちんと伝えたいという思いもないわけではない。私がその道を選びたいと思い始めた時にも隣にいて、それを目指すことで多少なりとも迷惑をかけたこともあったので、きちんと報告するのが礼儀なのかな〜とか。別に祝福してほしい気持ちとかはあまりなくて、ただ本当に、あの件はこれこれでこうなりました、ありがとね、くらいの気持ち。けど別れたしなーってずっと迷っていて、まあたぶん連絡はしないと思う。しても来年の3月くらいかな。まあそれはなんでもいいや。それよりも、問題は前者の方である。塾の講師でありながら、私が永い間とんでもない片想いをしていた人。み〜んなお察しのあの人。元塾講という点ではやはり報告したいのだけど、片想いをしていた相手、さらには好きバレもしていたという点で連絡する気が失せてしまうのである。この人に報告をするということは、相手に成果を伝えると同時に私の「復讐」にもなる。教わっていた頃は全然ダメダメだった私がここまできました、という塾講への報告と、あなたがいなくても私はここまでやれるしあなたなんて心底どうでもいいです、という片想いの相手への復讐と、あの人が大好きで自分の形が保てなくなるほどに恋をしていた過去の馬鹿な私への復讐。心底どうでもいいと思ってもう2年ほどが経ったけど、忘れた頃になってあの人は私の中に影を見せる。大嫌いを通り越して無関心にもなれたのに、結果的に私の人生を良い方向に変えてくれたことには変わりがなくて、だから嫌いになってもずっと人生につきまとってくる。本当にずるい。あんな人に人生が傾くほどの恋をしていた自分が馬鹿で情けなくてかわいくてかわいそうだ。もう関わるだけ馬鹿らしいとは思っているのだけど、復讐したいからきっと連絡してしまうと思う。そして私は復讐のつもりでもあの人はすごく喜んでくれるのがわかっていて、きっとその喜びの文字列に思わず頬が緩んでしまう自分がいることだってもうわかっている。どこまでもずるい。

そうやってあの人のことがずっと忘れられない。今となっては本気でどうでもいいし、今更付き合ってほしいとかそういう関係になりたいとかもない。それでも未だに街で似ている人を見かけると心臓が止まりそうになるし、あの人じゃなくてよかったと思う気持ちの中に、本当にあの人だったらよかったのにという気持ちが生まれてしまう。もう決別したと思っていたのに処理しきれていなくて、未だに引きずっている。もうはやく忘れたい。楽になりたい。

大好きな恋愛映画に「心底惚れるって、全てにおいてその人だけが例外になっちゃうってこと」という言葉があって、私はずっとこんな感じなんだと思う。今が嫌いでもはじまりは惚れていたから、結局ずっと惚れているのだと思う。だから嫌いだけど連絡したくなっちゃうし、喜んでほしい気持ちだってある。嫌いなのに。悔しい。何回でもいうけれど、あの人との間に何かを起こそうという気はさらさらない。だからはやく忘れるのみだなんてわかっているけれど、そんな簡単に記憶が消せるわけもなく、ずっと胸のうちに残ってしまっている。

先日、彼とは別の大好きだった人に子どもが生まれたということを耳にした。その人のことこそ本当にどうでもよくて、どこが好きだったのかすら思い出せなくなっている。今まで、好きだった人の好きだったところが思い出せなくなることは寂しいことだと思っていたけれど、寂しいと思ってる時点で大好きじゃん、ということに今回でやっと気がついた。だから、確かに寂しいことではあるのだけど、思い出せなくなるということは関心の薄れを顕著に表してくれるし、そんなに悪いことじゃないんだなと思う。それでもあの人のことはまだ思い出せちゃうから、嫌になっちゃうね。

こんなことを考えながらも、自担の追っかけもまだまだ続いている。今回の分岐点でこちらの道を選んだということは、今までのように自担の追っかけはできなくなるということである。それもわかっていて、私はこっちを選んだ。自担は人生に潤いを与えてくれるけれど、私の人生には責任を持ってくれないし、養ってくれるわけでもない。キャリアと自担の二択になった時、迷いなくキャリアを取れるおたくでいたいというのがここ1年の私の目標だった。迷いなくというのが難しくても、最終的にはキャリアを選ぶおたくでいたかった。あと、現場で自担の顔を見る時、自担に誇れる自分でいたかった。離れたところに行ったとしても、自担に誇れる自分はこっちなんだと思う。だから、やっぱりこっちであっていると思うことにしている。自担もおたくとしてしか生きられない女より、おたく以外に生きる道を見いだせる女の方が好きだよねぇ〜?!と思うしかない。だから、おたくができなくても私は頑張るし、自担に誇れる自分でいるために、多少しんどくても頑張りたいと思っている。自担のことを好きになったのはここ1年なのに、こんなに影響を与えてくるのすごすぎて笑っちゃうな。今、世界中の誰よりも自担のことが大好きだ。死ぬまで一生愛してると思う*1。自担のことはアイドルとしても、舞台に立つ職人としても、人間としても尊敬している。プロ意識が高いし、性格的にも私に持っていないものを持っている。やっぱり自分に足りないところを持っている人には憧れる。自担はポジティブすぎるのでこんなんと四六時中一緒にいたら死ぬわ、とも思うけれど、私はネガティブすぎるからやっぱり自担が羨ましい、なんてね。キモオタの戯言なので聞き流してください。

まあそんなこんなで人生忙しいです、けどアイドルだとしても一生好き!!って思える人がいて私は今とても幸せだし、好きだった人たちもいずれ消えていくだろうとは思うので、はやく記憶から消えてくれることを願うばかりです。ねっ。アーメン。

 

*1:タイトルへのフラグ???自担のこと一生好きでいてえよ。

夏だからといっても

 近頃はずっと天気がよろしくなくて体もだるい日々だ。昼夜逆転していることもあって、なかなか体調がすぐれない。これを書いている今も布団で横になっているし、画面の見過ぎで頭が痛い。それに今年はなぜかずっと体調が悪くて、いきなり高熱を出したり、微熱が3週間くらい続いたり、安定したかなと思えば微熱がぶり返したり、、。正直結構体がしんどい。そんなこんなを繰り返しているうちに胃のキャパシティもばかみたいに小さくなってしまって、お外でご飯を食べると一人前を食べきれないようなことが多々あるようになってしまった。今年はツイてないみたいだ。

 別れた恋人とは4月くらいまでなんだかんだで連絡は取っていたのだけど、ある日突然「いや私もうこの人に会いたくないわ」と気がついて、そのまま「もう会わない」という旨のメッセージを入れて、そこからもう一度も連絡していないし、会ってもいない。一人暮らし、彼氏なし。まあ毎日がゆっくり過ぎていくことが多いなという感じです。急に老けたみたいな感じ。その分好きなアイドルの舞台にたくさん行ったり、カフェに行ったり、お散歩したり、ひとりの時間を満喫している。ひとりでの生活に慣れてしまったから、もう結婚できないかも〜というのも最近よく思う。結婚願望はあるけれど、でもひとりの時間がなくなるのは嫌だし、たかだか彼氏ごときで耐えられなくなっていた私が結婚できるとは思わない……。アイドルにガチ恋を拗らせそうな今が私にはめちゃくちゃ楽しいし、まあ学生なんだしこんなんでもいっか〜って思う。アイドルの現場ばかり行っているので、学業の合間に現場に行っているのか、現場の合間に学業をしているのかどっちだ…?って感じだった。働き始めたらこんなことできないだろうし、後悔しないようにやろうと思います。

 昨日は老舗の和菓子屋さんにあんみつを食べに行って、夕暮れの街を歩き回って、映画を観に行った。全部ひとりだったけど、全然苦じゃなくて、やっぱり今の私はそういう時期なんだなと思う。ただ昨日ははちゃめちゃに可愛くお化粧できて、すごくいい感じだったので誰にも会わなかったのはちょっと惜しかった。昨日観た映画はロードムービーで、旅に出たい欲が高まった。旅行先で大きな帽子かぶってサングラスして歩きたい。

 夏なんだけど、このご時世で夏らしいことはほとんどしていないし天気も悪いからほんとに夏なのかな…みたいな気持ちになってしまう。夏の街で美味しいものを食べたかったし、友達と花火をしたかったし、現場終わりにビールを飲みたかった。酒を片手に夜の街を徘徊して、明け方に陽を浴びてから眠る日を経験したかった。基本的には引きこもりなので新しい生活様式もそんなに苦ではないんだけど、大学生っぽい暮らしをしてみたい願望は少なからず抱えていたので、こうやって青春の時間が失われていくのを黙ってやり過ごしていくのが苦しい。成人して酒を飲めるようになったら、大学の周りの居酒屋を開拓したり、高そうなバーに潜り込んだりすることをずっと楽しみにしていたから正直めちゃ悲しんでいる。あの頃思い描いていた先がこんなになっているなんてまったく想像していなかった。今決定権を持ってる年代の人たちは大学生、あるいはその年代の頃にはこんな生活をしていなかっただろうし、やりたいように大学生活を送れていたことが単純に羨ましい。……とまあ、こんなことボヤいても仕方ないしね、なるべくポジティブに前向いて生きて行きたいなと思います。部屋から出ない大学生最後の夏休みだってそれはそれ。好きなだけ昼夜逆転しよーっと。

廊下の長椅子とあの子の優しさ

 高校生の時、私はよく過呼吸を起こして保健室のお世話になっていた。過呼吸を起こすようになったのは中学3年生の頃で、普通に呼吸をするのがなんだか息が苦しくて、マスクをしている方が楽に息が吸えると気がついてからだった。それでも3年生のうちは倒れてしまうほどの過呼吸を起こすことは少なくて、なんとかうまくやれていた。

 高校生になって担任になった男性は少し変な人で、女子生徒に気軽に触れるような、いわゆる「距離感音痴」みたいな人だった。集団生活が苦手でうつを患っていた私に対して、他の先生はなんとか進級させようと手を尽くしてくれたけれど、担任は「できないのなら学校を辞めてもらうしかない」というタイプの先生で、それからもいろんなやりとりがあった後に私は頻繁に過呼吸を起こすようになった。通っていた学校の保健室というのは中学生には優しいけれど、高校生になった途端に突き放す。好きな先生と話しながら泣いてしまったのを見られた次の日に過呼吸を起こした時は、ああ、昨日長時間○○先生と話し込んでたから……なんて全く関係ないことまで引っ張り出されたこともあって、本当はすごく苦手だったけど、最後の駆け込み寺のようなところだった。

 高1のいつだったか、担任の授業を次に控えた休み時間に気持ちが潰れてしまい、廊下で過呼吸を起こしてしゃがみ込んでしまったことがある。いろんな友達が大丈夫?と声をかけてくれたけど、さらにパニックになった私はそのままうずくまって呼吸をするのに必死だった。そのうち本鈴が鳴ってみんなが教室に戻って行く中、ずっと私の隣で背中をさすっていてくれた友達がひとりいた。付き合わせてしまうのが申し訳なくて大丈夫、と伝えてもいいよいいよ、とずっと隣にいてくれて、クラスも違ったのに保健室まで連れて行ってくれた。それでも保健室の先生は高校生には厳しいので、早く教室に帰りなさい、まだ今なら遅刻で処理される時間だから、とやっぱり突き放された。友達は「だってこんな過呼吸じゃん」と先生に強く言ってくれたけれど、私がもういいの、大丈夫、と言って、結局友達と一緒に教室の前まで帰ったのだった。教室に帰るまでの階段で友達はおかしい、信じられないとすごく怒っていた。

 教室の前の長椅子で謝る私に大丈夫だよーと笑ってくれた友達は、中学3年生の時にお互い休みがちということで仲良くなった子だった。彼女は高校に進級した後はきちんと学校に来ていたようだし、その次の年には留学して、1年遅れで卒業した。あの時保健室で私の心には棘が刺さって今も思い出すたびにちくちくと痛むけれど、それよりも、あの場で私を守ってくれた友達がいたことの方が年々印象深くなっている。保健室の先生だって意地悪で言っていたわけではなくて、私の単位を心配して突き放してくれていたこともわかっている。それでも、その善意をうまく受け取れずに傷ついてしまった私をその場で守ってくれて、隣で背中をさすって支えてくれた友達の優しさと強さが本当にかっこいいと思った。彼女には今でも本当に感謝している。

 人と接していると、相手にとって何が優しいのか、何が相手のためになるのかというのがよくわからなくなる。甘やかすのも優しさだし、突き放すのも優しさだとなると、どれも正解で、どれも不正解のように見える。優しさを受け取った相手がそれを優しさだと思えば優しさだし、優しさではないと思うとそれは優しさではなくなってしまう。優しさを与えるのも受け取るのも、心がある程度健康でないと難しいのかなと思う。特に与える方は自分に余裕がなければ他者に優しくできないし、受け取る方もひねくれたりかっこつけたりせず、素直に受け取れる余裕や強さがないと相手の優しさをまっすぐ受け取るのは難しい気がする。

 なーんてつらつら書いてみたけど、本当の優しさがなんだかわかったら世界から面白みがひとつ少なくなってしまう気がする。最近始めたイケメン育成ゲームではストーリー進行の中に自分のセリフが選択肢としていくつか提示され、自分で好きなセリフを選ぶようになっている。落ち込んでいる相手にかける言葉や、相手を励ます言葉もいくつかの選択肢になっている。ゲームだからその選んだセリフによって好感度や親密度が上がっていくし明確な「正解」がわかるようになっているけれど、現実ではその「正解」は存在しない。でも、もし現実で相手が求めていることや、してほしいことが全部わかるようになってしまったら、他者を理解しようと思う気持ち、相手の気持ちを自分なりに考えるということはなくなってしまうだろう。それは人間としてあまりに寂しすぎる。他者を100%理解することはできないけれど、相手に寄り添おうとする姿勢が大事であって、結果がどうであれその誠意が相手に伝われば、それだけで多少は救われるんじゃないかと私は思いたい。他者理解の努力を惜しまない世界であってほしい。

呪い

 別に好きでなくても、周りの男の人に恋人がいるという話を聞いてしまうとちょっぴり落ち込んでしまう。付き合いたいわけでもないのにそう聞くだけでなぜか少し傷ついて、自分がひどく汚くてとんでもない女のように感じてしまってやっぱり落ち込んでしまう。あと、恋人とうまくいってる人を見るとイライラしてしまうようになった。先日このブログに恋人はいらないと書いたし、その気持ちは基本的には変わっていなくて一人で悠々暮らしているのに「結婚を考えている」「結婚式に呼ぶ」みたいな話を聞いているとはーーーーさようですかーーーーo(^o^)oみたいな気持ちになってしまう。普通にキモいなーと思うし自分では満たされてるつもりなので本当にどうしてこうなっちゃうのかよくわからない。キモいな。

 他人の恋に口出しをすることには疲れたし、自分の友達なら男女かかわらずその人の意思を尊重してほしいと思うので基本的には後押しスタイルだけど、先輩とか少し遠い関係の人の話についてはまじで知らんがなボタン百連発だし、そういう人の結婚しようと思ってるんだぁ♡らぶらぶちゅっちゅ♡みたいな話ほど耳障りでタコ殴りにしたいものはない。というか、幸せMAXで安定している人だけが持つ余裕な雰囲気とかどこか落ち着いていてオトナですけど〜みたいな雰囲気が苦手すぎるし、だせえ!きめえ!って感じ。インスタでよく見るベージュやくすんだ色の服着てナチュラルていねいな暮らし感、性欲?そんなもの知らないですぅみたいな投稿してる人だってやることやってんだよなあと思うと何も信じられなくなる。あと先月行った美術館で、イチャイチャベタベタしながら鑑賞してるカップルがいて本当に邪魔だと思った。カップルで来ること自体には何も思わないけれど、ふたり一緒に喋りながら鑑賞する意味とは?という感じなので、喋るならスタバかホテル行けってなった。自分ほんとに歪んでるなあ!世の中ぜーんぶキモいね!しにた!きゃぴるーん!

 

 

自由気ままな独身三十路女(仮)になる、の巻

 タイトルはふざけました、三十路ではないですしアラサーでもないです。どうも。

 年末に恋人と別れた。ずっと別れられなかったのに何が起きたかというと、所属コミュニティの円滑な運営のためにというのが一番しっくりくる理由で、まあせっかくだしこれを機に、、、という感じで別れた。別れたけどなんだかんだ家には来ていたし、体の関係も残っていたのであまり別れた気もしなくて、年明けには復縁してもいっか〜くらいに思っていた。しかし、一人暮らしの家でひとりの生活をしているうちに気持ちも落ち着いてきて、このままひとりでのんびりやっていきたいなあという気になってきていたので、いろいろありつつも独身生活を謳歌している現在です。

 先日は元恋人が家に来て、復縁するしないについて結構きちんと話し合ったのだけれど、「何を言われても復縁しない」という私の意思は揺らがなかった。体の関係は今さらすぎるのであってもいいのだけど、「復縁」という形にしてしまったらこの先もずっと、同じようなことをずるずると繰り返してしまうのだろうと思う。ずるずるのいつまでも別れられないゴミ女を脱却したかったのだ。相手は私の頑なな復縁拒否に驚いていたが。まあこれで最終的に結婚する、みたいなエンドがなくもないような気がしてしまうけれど、別にそれでも構わないとは思うし、まあそれもひとつの形として有りなのではないかと思う。ほんとにそうなったらウケるけど。

 彼氏なしの人間に戻ったら、何だか自分が自分らしくいられている気がしている。恋人には言いにくいけれど好きなものとか、気がつかぬうちに他人の視線を込みにした思考回路とか、そういう他人を意識した自分を少し捨てられたような気がする。私は自意識過剰なくらいに人の目を気にすることが多くて、道を歩いている時、スーパーで買い物をする時、駅でICカードにチャージをする時、その他にもいろんなタイミングで常に誰かに見られているという虚妄のような意識がつきまとっている。恋人がいなくなったということで、恥ずかしい私を誰かに見られたら彼氏も恥ずかしい、みたいな変な意識がなくなって、コンビニくらいならガチのスッピンで行けるようになったし、誰もいない道なら小さな声で歌いながら歩けるようになった。別れたことで多少のダメージを負ってはいるけれど、少しずつ自分を取り戻せて、その上新たな自分を発見できているような気がする。大方は気のせいかもしれないけれど、それでも自分の心は毎日ちょっとずつ成長していると信じている。

 最近は荻上直子の『めがね』(2007)が気に入って見ている。海の綺麗な場所でのんびりたそがれる生活に憧れる。東京はきらきらで毎日が刺激で溢れているけれど、ちょっと疲れてしまうね。