こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

ちゃいなぶるー

ひとりで夜道をふらふらと歩いてお酒を飲みに行った。昨日は家から15分くらいのところにあるHUBへ。おじさんに混じってチャイナブルーを1杯だけ飲んで帰ってきたけれど、なかなか楽しかった。別に話しかけられたくて行ってるわけじゃないからひとりでぼーっと飲めてよかった。

英国パブだからじゃないけど、カウンターで飲みながらoasisを聴いていた。月並みな言葉だけれど、oasisはとってもいいバンドだと思う。イギリスの曇り空が思い出せるような曲ばかりで、中高生の時に行った短期のサマースクールのことを思い出す。ロンドンとオックスフォードに行ったことがあるけれど、どちらもなかなか天気の悪い日々だった。最初に行ったのは中学生の時で、姉が前年に行っていたとはいえよく中学生の娘を海外に出してくれたなと、この点については両親の思考の広さにいまもとても感謝している。

今生活している東京の夕方は巨大なビルの隙間から見える空がとってもアンニュイに見えるし、すぐそこを走っている信号待ちの車の赤いランプが眩しい。大学から見える高速道路も、ねずみ色の空も、oasisと一緒に混ぜたら、あのサマースクールや他国の友達を懐かしく思う材料になる。

日々の考えの中で海外留学したい欲が占める割合が大きくなっていることに気づいてはいるのだけど、それを実行するには時間も覚悟も能力もいろいろ足りない。留学した後のことを考えると、今留学することはどう考えてもプラスには働かなそうだ。卒業後に院に行きたいことを考えたらわたしはきっと留学のチャンスを逃すし、この先もやっぱり行きたかったなあって心の何処かに抱えていくのかもしれない。めっちゃめんどくさいけど折り合いのつけられないことのひとつやふたつくらいあるよね。しゃーない。

 

この間、母校の文化祭でわたしの黒歴史作文が入った文集が公開されているのを発見した。自分ももらったはずのその文集は恥ずかしさのあまり、母に見せることなく自らの手でどこかに封印してしまったので行方がわからなくなっていた。せっかくだから、と思って開いて読んでみたらびっくりした。文章の稚拙さ痛さはもちろんだけど、それ以上に当時の自分のとても素直な感情が描かれていて、綴られている気持ちは嘘偽りなく真っ直ぐだった。この頃の私はまだ素直でこんなに音楽が好きで大切だったんだって、いまは擦れてぼろぼろに正体をなくしてしまった気持ちがそこにはちゃんとあった。それはもうとっても恥ずかしいのですが、6年前の自分の作文を読んで泣いてしまった。しかも卒業して2年の母校の文化祭で。わ〜〜〜〜、恥ずかし〜〜〜〜〜。でも成長とともに引きずり回してわからなくなっていたあの気持ちを、少し思い出せたような気がしてすごく嬉しかったな。おかえりまではまだ遠いけど、いつか帰ってきてくれますように。

大学でぼーっとしつつこれを書いていたら、さっきまでうっすら見えていた空はもう真っ黒になってしまった。とりあえず練習いこ。