こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

死ぬまで一生愛されてると思ってたよ

いつの間にか秋になっていた。マスクをしていると街の季節が変わっていくことに気がつきにくくなってしまう。景色だけでも秋の訪れは感じるけれど、やっぱり季節は街の匂いで感じるものだと思っているので、嗅覚を閉じて生活するのはなかなか苦しい。

最近、人生の転機が訪れた。きっと自分の人生の大きな分かれ目になると思う。二つの道があって、どっちを選んでも後悔すると思っているけれど、とりあえず私は北に続く道を取ってみたところである。それが今までの私の目標だったしね。つまり、目標達成ということではあるのだけど、本当にそれが正解なのか迷っているようだ。多分これはキャリア的には正解だけど、自分の気持ち的にはあんまり正解じゃないのかな〜と思っている。でも、私は人生に「エッセイに書けるような面白い人生を送る」というモットーを掲げていて、迷った時はいつも10年後の自分が酒の席でおもろいネタにできるのはどっちか、という観点から選ぶようにしている。私自身はそんなに面白い人ではないから、自分の経験くらいは面白いことを選ぶようにしたいと思っている。いろんな経験をしてきた人の文章とか話って面白いじゃないですか、やっぱり。だからとりあえずはおもろいことを求めていこうと思っている。

そんなこんなで一応進路が決定して、伝えたい人には一通り伝え終わった。お世話になっているゼミの先生はとても喜んでくださっていた。なんなら先生だけでなくご家族も一緒に喜んでくれていたそうで、本当にうまくいってよかったと思った。先生にはずっと面倒を見てもらっていたので、今まで先生にしていただいたことを無駄にせずに済んだ安心感がすごい。他にも家族はもちろん、いろんな友達が喜んでくれると同時に寂しいと言ってくれて、あー、愛されてるなあと思った。もちろん、寂しいって言わないでいてくれる優しさもきちんと受け取っている。そうやっていろんな人が応援していてくれて、これからのことも応援してくれることに、ずっと胸がじんわりと温かい。高校生の時にお世話になっていた人にも連絡をしたら今度2年ぶりにご飯に行くことになって、まだ先のことだけどなんか嬉しくて毎日るんるんしてしまっている。

おおかたの大切な人には、ゆっくりではあるけれども時間があるときに少しずつ連絡をしていて、だけどやっぱり報告も迷う人もいることも事実で、高校生の時に大好きだった人と、元彼にはどうするかずっと考えあぐねている。後者についてはもうSNSを通じて知っていることは知っているのだけれど、やっぱり自分できちんと伝えたいという思いもないわけではない。私がその道を選びたいと思い始めた時にも隣にいて、それを目指すことで多少なりとも迷惑をかけたこともあったので、きちんと報告するのが礼儀なのかな〜とか。別に祝福してほしい気持ちとかはあまりなくて、ただ本当に、あの件はこれこれでこうなりました、ありがとね、くらいの気持ち。けど別れたしなーってずっと迷っていて、まあたぶん連絡はしないと思う。しても来年の3月くらいかな。まあそれはなんでもいいや。それよりも、問題は前者の方である。塾の講師でありながら、私が永い間とんでもない片想いをしていた人。み〜んなお察しのあの人。元塾講という点ではやはり報告したいのだけど、片想いをしていた相手、さらには好きバレもしていたという点で連絡する気が失せてしまうのである。この人に報告をするということは、相手に成果を伝えると同時に私の「復讐」にもなる。教わっていた頃は全然ダメダメだった私がここまできました、という塾講への報告と、あなたがいなくても私はここまでやれるしあなたなんて心底どうでもいいです、という片想いの相手への復讐と、あの人が大好きで自分の形が保てなくなるほどに恋をしていた過去の馬鹿な私への復讐。心底どうでもいいと思ってもう2年ほどが経ったけど、忘れた頃になってあの人は私の中に影を見せる。大嫌いを通り越して無関心にもなれたのに、結果的に私の人生を良い方向に変えてくれたことには変わりがなくて、だから嫌いになってもずっと人生につきまとってくる。本当にずるい。あんな人に人生が傾くほどの恋をしていた自分が馬鹿で情けなくてかわいくてかわいそうだ。もう関わるだけ馬鹿らしいとは思っているのだけど、復讐したいからきっと連絡してしまうと思う。そして私は復讐のつもりでもあの人はすごく喜んでくれるのがわかっていて、きっとその喜びの文字列に思わず頬が緩んでしまう自分がいることだってもうわかっている。どこまでもずるい。

そうやってあの人のことがずっと忘れられない。今となっては本気でどうでもいいし、今更付き合ってほしいとかそういう関係になりたいとかもない。それでも未だに街で似ている人を見かけると心臓が止まりそうになるし、あの人じゃなくてよかったと思う気持ちの中に、本当にあの人だったらよかったのにという気持ちが生まれてしまう。もう決別したと思っていたのに処理しきれていなくて、未だに引きずっている。もうはやく忘れたい。楽になりたい。

大好きな恋愛映画に「心底惚れるって、全てにおいてその人だけが例外になっちゃうってこと」という言葉があって、私はずっとこんな感じなんだと思う。今が嫌いでもはじまりは惚れていたから、結局ずっと惚れているのだと思う。だから嫌いだけど連絡したくなっちゃうし、喜んでほしい気持ちだってある。嫌いなのに。悔しい。何回でもいうけれど、あの人との間に何かを起こそうという気はさらさらない。だからはやく忘れるのみだなんてわかっているけれど、そんな簡単に記憶が消せるわけもなく、ずっと胸のうちに残ってしまっている。

先日、彼とは別の大好きだった人に子どもが生まれたということを耳にした。その人のことこそ本当にどうでもよくて、どこが好きだったのかすら思い出せなくなっている。今まで、好きだった人の好きだったところが思い出せなくなることは寂しいことだと思っていたけれど、寂しいと思ってる時点で大好きじゃん、ということに今回でやっと気がついた。だから、確かに寂しいことではあるのだけど、思い出せなくなるということは関心の薄れを顕著に表してくれるし、そんなに悪いことじゃないんだなと思う。それでもあの人のことはまだ思い出せちゃうから、嫌になっちゃうね。

こんなことを考えながらも、自担の追っかけもまだまだ続いている。今回の分岐点でこちらの道を選んだということは、今までのように自担の追っかけはできなくなるということである。それもわかっていて、私はこっちを選んだ。自担は人生に潤いを与えてくれるけれど、私の人生には責任を持ってくれないし、養ってくれるわけでもない。キャリアと自担の二択になった時、迷いなくキャリアを取れるおたくでいたいというのがここ1年の私の目標だった。迷いなくというのが難しくても、最終的にはキャリアを選ぶおたくでいたかった。あと、現場で自担の顔を見る時、自担に誇れる自分でいたかった。離れたところに行ったとしても、自担に誇れる自分はこっちなんだと思う。だから、やっぱりこっちであっていると思うことにしている。自担もおたくとしてしか生きられない女より、おたく以外に生きる道を見いだせる女の方が好きだよねぇ〜?!と思うしかない。だから、おたくができなくても私は頑張るし、自担に誇れる自分でいるために、多少しんどくても頑張りたいと思っている。自担のことを好きになったのはここ1年なのに、こんなに影響を与えてくるのすごすぎて笑っちゃうな。今、世界中の誰よりも自担のことが大好きだ。死ぬまで一生愛してると思う*1。自担のことはアイドルとしても、舞台に立つ職人としても、人間としても尊敬している。プロ意識が高いし、性格的にも私に持っていないものを持っている。やっぱり自分に足りないところを持っている人には憧れる。自担はポジティブすぎるのでこんなんと四六時中一緒にいたら死ぬわ、とも思うけれど、私はネガティブすぎるからやっぱり自担が羨ましい、なんてね。キモオタの戯言なので聞き流してください。

まあそんなこんなで人生忙しいです、けどアイドルだとしても一生好き!!って思える人がいて私は今とても幸せだし、好きだった人たちもいずれ消えていくだろうとは思うので、はやく記憶から消えてくれることを願うばかりです。ねっ。アーメン。

 

*1:タイトルへのフラグ???自担のこと一生好きでいてえよ。