こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

自由気ままな独身三十路女(仮)になる、の巻

 タイトルはふざけました、三十路ではないですしアラサーでもないです。どうも。

 年末に恋人と別れた。ずっと別れられなかったのに何が起きたかというと、所属コミュニティの円滑な運営のためにというのが一番しっくりくる理由で、まあせっかくだしこれを機に、、、という感じで別れた。別れたけどなんだかんだ家には来ていたし、体の関係も残っていたのであまり別れた気もしなくて、年明けには復縁してもいっか〜くらいに思っていた。しかし、一人暮らしの家でひとりの生活をしているうちに気持ちも落ち着いてきて、このままひとりでのんびりやっていきたいなあという気になってきていたので、いろいろありつつも独身生活を謳歌している現在です。

 先日は元恋人が家に来て、復縁するしないについて結構きちんと話し合ったのだけれど、「何を言われても復縁しない」という私の意思は揺らがなかった。体の関係は今さらすぎるのであってもいいのだけど、「復縁」という形にしてしまったらこの先もずっと、同じようなことをずるずると繰り返してしまうのだろうと思う。ずるずるのいつまでも別れられないゴミ女を脱却したかったのだ。相手は私の頑なな復縁拒否に驚いていたが。まあこれで最終的に結婚する、みたいなエンドがなくもないような気がしてしまうけれど、別にそれでも構わないとは思うし、まあそれもひとつの形として有りなのではないかと思う。ほんとにそうなったらウケるけど。

 彼氏なしの人間に戻ったら、何だか自分が自分らしくいられている気がしている。恋人には言いにくいけれど好きなものとか、気がつかぬうちに他人の視線を込みにした思考回路とか、そういう他人を意識した自分を少し捨てられたような気がする。私は自意識過剰なくらいに人の目を気にすることが多くて、道を歩いている時、スーパーで買い物をする時、駅でICカードにチャージをする時、その他にもいろんなタイミングで常に誰かに見られているという虚妄のような意識がつきまとっている。恋人がいなくなったということで、恥ずかしい私を誰かに見られたら彼氏も恥ずかしい、みたいな変な意識がなくなって、コンビニくらいならガチのスッピンで行けるようになったし、誰もいない道なら小さな声で歌いながら歩けるようになった。別れたことで多少のダメージを負ってはいるけれど、少しずつ自分を取り戻せて、その上新たな自分を発見できているような気がする。大方は気のせいかもしれないけれど、それでも自分の心は毎日ちょっとずつ成長していると信じている。

 最近は荻上直子の『めがね』(2007)が気に入って見ている。海の綺麗な場所でのんびりたそがれる生活に憧れる。東京はきらきらで毎日が刺激で溢れているけれど、ちょっと疲れてしまうね。