こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

冬の生活

寒い。眠い。起きてるのが辛い。

 

最近、体が冬眠仕様になっているのではないかと思うほど毎日眠い。そして大学が寒い。寒いなあと思って授業を受けていると眠くなってきて、睡魔に勝てず寝てしまうけれど、寒さで目覚めるほど教室が寒い。原因は先生がなかなか暖房をつけてくれないことだと思う。とても寒い。冷える。死んじゃう。授業中に眠るのに命がけってなんか笑える。

 

ちなみに、彼の家にはこたつがある。やっぱりこたつはとても暖かいし、彼と一緒に足を突っ込んでいるからか、尚更暖かい。私の足があまりに冷たいのでくっつけるとちょっと怒る。多分全然怒ってないけど。私は人の足に自分の足をくっつけるのが大好きで、実家ですでに布団に入っている母の足に冷たい足をくっつけて、本気で嫌がられていた。

お母さん、やっぱり私は人の暖かい足に自分の冷たい足をくっつけるのが好きです。ごめんなさい。

 

夜はのんびりできるけど、あっという間に朝が来てしまう。ずーっと夜だったらいいのにね。おやすみ。また明日ね。

微熱のココア

美味しいココアが飲みたい。

 

冬になったからね、ココアが飲みたくなる。あったかくて甘くてふわふわのミルクココアが。一人暮らしの自分の家で作るココアはどうも美味しくない。面倒くさがりなので、小さな手間を省いて適当に作っちゃうからダマになったりなんか薄かったりで美味しくないんだけどね。

それでも、1人で飲むココアと誰かと飲むココアは全くの別物でしょう。

実家の冬の朝ごはんには必ずココアが出てきた。遅刻ギリギリに飛び起きる私がせめてココアだけでも飲んで行けるように、母がぬるめに作ってくれていた。鉄分も牛乳も入ってるし、甘いから朝でも飲んでいけるでしょ、って毎朝ちょっとぬるいココアを出してくれた母は素敵な人だと思う。これぞ、離れてわかる有り難さかな。

この間は、彼の家で一緒に飲んだ。大学の友達に大量にもらった賞味期限切れの粉末ココアをそのまま彼の家に持ち帰って、ホットミルクに溶かした。コストコとかで売ってる海外製のココアだったからちょっと人工的な味だったけど、真夜中、彼の家、彼の隣、暖かいミルクココア、幸せじゃないわけがない。

そのあと家に帰って1人でココアを飲んでも、なんだか美味しくないのである。だってそんな美味しいココアを知ってしまったらもう戻れない。大事な人と飲むココアは格別だもの。

 

愛についてのこと

恩師に会った。

その人は中高の先生で、高校3年間で一番心の頼りだった人。高1のある出来事以来ずっと信頼していて、今でも変わらず信頼している人だ。結構適当なところがある人だけど実は他人のことをよく見ている、THE・教師。

なんだかんだ卒業してもかなりの頻度で会っているけれど、最近は忙しかったようでゆっくり話す機会がなかった。一対一でちゃんと話したのは、4月ぶりだったかもしれない。

会って早々に話し始めたことは、彼との関係のこと。怒られるかなって思ってたけど、勢いで現状を言ってみたら案外さらっと受け入れられて、なんだか拍子抜けした。

そして、今の私のこと。高校の時と変わらず自己肯定感が低いとか、その低さとどう付き合っていくとか、そんなこと。私がどうしたいとか、どう思っているとか、きっと大体のことは気づいている。多分、あの人には全部見透かされている。

 

恋愛も勉強も自分のことも、この人とはいろんな話をしてきたけれど、いつも心にひとつ、重しになる言葉をさらっと置いていく。その度に、この人の考え方好きだな、この人みたいになりたいな、この人に出会えてよかったな、と思っている。

 

先生

最近会うたびに老け気味で心配です。お忙しいのだと思いますが、ちゃんと疲れは取ってくださいね。先生の言うことはまだわたしには難しくて、ちゃんと理解できないこともよくあります。だけど、後々、「あ、先生が言っていたのはこういうことか」と、すとんと胸に落ちてくるときがあります。なので、また、たくさんのお話を聞かせてください。次に会うときは、もう少し考えが深い大人になれているように頑張ります。

すっかり寒さが身にしみる季節になりました。風邪などひかれませんよう、お大事にしてくださいね。

元生徒より。

 

 

「○○をしてもらったから愛されてる、とか、○○をしてくれるから付き合ってる、っていう基準があるわけじゃないんだよ。「愛されてるかどうか」じゃなくて、君が相手のことをどう想っているかが一番大事。」

 

椎茸とセロリ

昨日の夕飯は、椎茸のハンバーグだった。

夜の練習を終えて日付が変わる頃実家に着いた。とてもお腹が空いていたので実家の夕飯の余り物を出してもらった。昨日の椎茸は親戚からお土産で貰ったもので、人生3回目の美味しい椎茸だった。というのも、今年6月頃、とあるお店で椎茸のフライを食べてから、やっと椎茸の魅力に気づいたのである。その椎茸はふっくらしていて味にクセがなくて、ふわっとした優しい椎茸だった。昨日貰った椎茸も、ふっくらしていて味が良かった。これからの椎茸人生に益々期待。

 

昨日はもう一品のおかずがあった。牛肉と筍とセロリの炒め物である。

私は中学生の頃からこれが大好きで、これが食卓に登場するとついご飯を3杯くらい食べていた気がする。それほどに美味しいのだ。使っている食材は3種類、そのうちの1つのセロリがこれまたいい味を出すのである。セロリが嫌い、という人は多いのであろう。確かにちょっと臭みがあるかも。しかし、軽い塩味ベースの炒め物にセロリがめちゃくちゃ合う。セロリのおかげで香りから美味しい。天才。

 

一度美味しいと思った食べ物のことは、すぐには思い出せなくても舌がちゃんと覚えている。逆を言うと、美味しくないと思っていたものでも一度美味しいと感じれば、ずっと美味しく食べられるのである。

だから、あのこともこのことも、美味しい記憶に変えて一生もぐもぐしていきたいな、なんてね。

 

美味しい生活、は、まだまだ続く。

おはよう絶望

書きたいことがたくさんあるので、書きたいうちに連投してしまえと思い、あいふぉんをぽちぽちしている。ちょっと眠い。

 

9月になっていくつかの、精神的に大きな出来事があった。まずは、ずっと好きだった人の連絡先をブロックしたこと。1年くらい片思いしてた。好きだった。でも、いつの間にかその好きは惰性に変わっていた。まあ相手の気持ちもわかってたしね。8月頃から彼のことを思い出すだけで苦しくて、呼吸が浅くなったりしてたので、思い切って友人にブロックしてもらった。自分だけ好き好きしてても、相手にその気が全くなかったらつらいだけだもん。ばかみたいじゃん。そう思ってブロックしたらすっきりしました。さよなら、またいつか。

あとの出来事といえば、ちょっと気になってる人と遊んだこと、メンヘラ仲間と2年ぶりくらいに再会したこと、良き理解者と半年ぶりにご飯に行ったこと、くらい。

今日は、また別の気になってる人に連絡した。気が多い!って思うかもしれないけど、そういう人間なのでそこはほっといてください。ある目標を達成できたら彼に連絡する、というルールを決めていたのだけど、目標達成できたので連絡した。どうせ返事は気まぐれでしか返ってこないんだ。わかってる。返事を待って鬱になる自分の姿も見えてる。まあ、それでもいいよ。ズタズタになるならなってしまえ。もはや、自暴自棄。

 

こんなことは春にもあった。彼からの連絡を1ヶ月待ち続けて、精神ボロボロで情緒不安定。すぐ泣いていた。実は今も情緒不安定である。すぐ泣くし、よく怒る。本当に面倒な人間だと思う。情緒不安定の理由は大抵男のこと。それでも男と関わることをやめられない。

 

今年の秋は、去年よりも少し、自分のことを大事にしたい。そうは思っても絶対に無理だし、どん底まで落ちる気がする。だけど、心持ちとしては自暴自棄にならずに、丁寧に暮らす。そう思えるだけで今年の秋は大きなハナマルをあげることにした。

秋になる

いつもの街、いつもの風の匂いが秋になったことを感じる。夏が終わってしまった。毎年秋になると寂しくて、誰かの温もりを求めてしまう。ああ、人に会いたい。

今年は平成最後の夏、というワードを何百回も聞いた。私は何をしたんだろうか。きっと、何もできていない。

毎日サークルに行って、そんなに遠くもない実家に帰って、親しい友人に会って、それだけで一夏が終わってしまった。それはそれでよかったのだろう。

でもね、好きな人に会ったとか、距離が縮まったとか、究極を言えば彼氏が出来たとか、そんな出来事は起こらなかった。平成最後の夏なのにね。

平成最後だからといって勝手にミラクルが起きるわけではない。平成最後だからこそ、恥を捨てて思い切って行動したら何かミラクルが起きる(かもしれない)ということである。そんなことわかっていたつもりでもわかっていなかったのだろう。動かない人間にチャンスなぞ来ない。

 

9月、平成最後の秋。人肌恋しいから、といって少しだけ大胆になれたら、遅れた夏がやってくるのかも。

全ての平成最後に、乾杯。