こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

よわい

所謂、避暑地に来ている。

まだ肌寒いくらいの気温だけど、ここに来たのにはちょっとした理由があって、まあそれはこの場において重大な話ではない。

それよりも、この連休でこちらに来てから、ずっと本を読んでいる。江國香織吉本ばなな。こちらで買い足したものもある。どの作品も私の好きな作風で、好きなものを選び取る力がついて来たなと感じる。

小説を読むと感傷に浸ってしまうのは私のクセなのだろうか、小説の中の人物と自分を重ね合わせてしまう。そうして、自分のこと、周囲の人のこと、将来のこと、色んなものを考えているうちにすっと眠ってしまう瞬間が好きだ。一人で考えてもどうにもならない事ばかりだけれど、未来のことについて思案するのは嫌いじゃない。

私は昔から、いつも将来に思いを馳せている子供だった。小学生の頃は、高校生になった自分の姿や、大きくなったら半自動的にできると思っていた彼氏、結婚したらこんな生活がしたいな、なんて幼いながらに妄想するのが好きだった。ああ、なんてませたガキ。

最近も妄想のような想像にまみれた日々を過ごしている。彼氏となった人とのこと、好きなアイドルのこと、サークルのこと、自分の将来のこと。どれも自分じゃどうにも出来ないことだ。それでも今この瞬間に考えていることが、もしかしたら将来本当になるかもしれないし、ならないかもしれないし、きっとこうなる、というある種の予感なのかもしれない。結局、将来のことをいくら考えても、今の私はあの頃思い描いたものとは違う道を歩いているし、とんでもないロマンチストのメンヘラが出来上がっている。考えあぐねても仕方がない。成るように成ってくれればいい。

 

今日はとってもいい天気だった。andymoriを聴くのにぴったり、と友達がツイートしていたのを思い出して、家に帰るまでの高速でひっそり聴いてみたら、なぜかもう会えないかもしれない人たちの顔が浮かんで、少し寂しい気持ちになった。

初夏の匂いと共に、今年も5月病という名の鬱病がすぐそこまで来ているのかと思うと憂鬱で仕方がない。この何年かPMSのような症状が顕著で、5月病と被る時が一番死にたくなる。もう既にしんどいけれど、今年も頑張って乗り越えよう。

焦燥感と期待で溢れるこの季節の到来を、今年も気づけたことがちょっぴり嬉しい。

 

 

これは余談だけれど、ひとり暮らしの家を離れて実家に帰ったら、化粧をしながら泣くことがなくなった。大森靖子を聴いても泣かない。だけどまたひとりになったら、毎朝自分を守るための化粧をしながらぽろぽろ泣くんだと思う。絶対彼女とか聴きながら街を歩いて涙をこぼしてしまうかもしれない。

それでもいいと思っている。その涙が限界の近くに立っている自分を守っていることを私は知っているし、本当に極限まで来てしまった時に助けを求められる人たちのことも知っている。そして、その人たちが私のSOSをきちんと受け取って助けてくれることもちゃんとわかっている。今までも、そうやって生き抜いて来た。他人に頼ってばかりではあるけれども、助けてくれる人がいるということは生きて行く中で大きな安心感に繋がる。

あと、小学生の私にお伝えしておきたいのですが、高校生で彼氏はできなかったし、大学生になったら人の男寝取って元カノうざいしだっせえwwwとかやってます。まじで男の趣味最低だから、今から覚悟しときな。