こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

季節と日々

街の匂いが秋になった。秋の匂いを説明するのは難しいけれど、いざその季節がきたらわかるのが秋なんだろう。肌のベタつきや体感的な暑さの変化はあまりないけれど、空気は確実に秋へと移り変わっている。

先日、はたちになって友達と飲みに行った。中学生の頃から今日まで8年間の時間をかけて、わたしの良き理解者になってくれた人。私がチェロを人生のマストアイテムだと思っているように、彼女にも大事なものがある。真反対の性格だけれど、大事なものへの愛に触れたことがあって、それがどんなものかわかちあえるからずっと繋がっていられるんだと思った。良い友達を持ったよ。本当にね。

高校生の時に少し関係があった人が作家デビューしていたり、後輩がおじさんたちのバンドでボーカルをしていたり、少しぼんやりしている間に色んなものが変わっていた。あんなに嫌がっていたわたしもあっけなく成人してしまったように、時というのは残酷なほどに止まることを知らない。毎日を大切に生きよう!なんていう人間にはなりたくないけど、なんてことない毎日をきちんと心に留めておくことができる人になりたいな。その日の嬉しかったことや、悲しかったこと、きちんと覚えていた分だけ誰かに優しくできるから。まあ毎日を過ごしてて嬉しいことなんてたくさんないんだけどね。1日に飴玉ひとつくらいの嬉しさがあれば花マルかな。

さっき揺られていた京浜東北線の窓から見えた遠くの空は、青い絵の具に白い絵の具を混ぜたような、安直な水色をしていた。単純だけど、好きな色。小学校で絵を描くとき画用紙にまず描くのはこの水色の空だった。美術は苦手だったから、美大に通っている友達を本当に尊敬する。毎日がんばっててえらいね。

 

一年のうち、秋や春や初夏みたいな、境目の曖昧な時期がいちばん好き。うっかり見落としてしまいそうな季節を感じられる力がわたしに備わっていてよかった。こんな季節の変わり目にふと会いたくなる人たちが、今日も元気でいてくれますように。

ついたちに見る夢

今日、19歳の最後の日は母と旅行で広島に来ている。

昼過ぎに着いて広島市内を観光していたら、高校の修学旅行で関西を訪れたときのことを思い出した。行きの新幹線で爆睡しすぎて首が痛くなったこと、原爆ドームの前で革靴を巡ってごたごたしたこと、宮島の川に足をひたして笑っていた友達のこと、好きかもしれない人を想って恋愛みくじを引きまくった結果最終日に東寺の恋みくじで大吉を出したこと、その他にもたくさん。こうやって文字にするのが少し難しくてもったいないくらい、まぶしくて鮮やかな時間だった。当時のわたしたちはわりと「女子高生の無駄遣い」タイプだったと思う。今考えても女子校、楽しかったな。

あの頃からの3年間、たくさんのことを失くしたり壊されたりしてきた。けれども、本当に大切な人やこと、ものは変わらず、あるいは形を変えて今もわたしのそばにいてくれていると思う。ちゃんと肌で感じるよ。10代のうちにやりたかったことが全部できたわけではないし、昨日は大人になってしまうのが嫌すぎてピーターパンを見た。大人になりたくないウエンディと自分を重ねて見ていたのに、終盤で彼女は大人になる覚悟を決めてしまって、なんだか裏切られた気がして悲しくなってしまった。(そのあとネトフリでユーリ見たら元気になったけど)。わたしは、20歳という子どもと大人の境目を超えてしまったら、今まで作り上げてきた「わたし」という人物が違うものになってしまう気がしてとても怖いのだと思う。実際にはそんなこと起こらないとわかっていてもね、怖いものは怖いんですよ。

この何週間かは体調が悪くて、精神的なものなのか夏バテなのかわからないけどすごくお腹が弱かった。胃もお腹もすぐ痛くなる。あと、何でもかんでもすぐに不安になるし、判断能力もないし、とにかく人間として弱い。カウンセリングの日を待ちわびてるレベルできつい。いつもなら「こんなわたしだけどなんとか頑張っていこうと思う」って締めるけど、今回はとてもそんなこと言いたくない気持ちだったので、19歳集大成のわたしの気持ちとして

「ねむい(はたちになってもちゃんとした大人になんてなれないしなりたくないし30過ぎてもうつ病メンヘラクソビッチこじらせてる気がするし就職なんて無理だし美貌も人望もないから人生がどん底です、好きな人と毎日セックスしてふわふわ生きて女としての旬が終わる前には死にたいなてか好きな人とセックスしてる時に死にてえ、あと必ずしも好きな人=彼氏だなんていう方程式は存在しないしさせない)」

とだけ書き残しておこうと思います。一応真面目です。20歳も死なないことを目標に、泥臭く生きていく。明日からも、どうぞよろしくね。

 

P.S.①東寺の恋みくじは恋のお守りとして小さな紙のお人形が入っていて、いまだになんとなくお財布に入れて持ち歩いています。今日もいっしょだよー。

P.S.②やっぱりピーターパンは迎えにきてくれなかったので大人しくTDLのピーターパンの空の旅で我慢します。ネバーランド行きたかったよう。しくしく。

P.S.③最後になってしまったけど、ちーたん、おじさん、高校生の時からいつもありがとう。今度美味しいかき氷食べて幸せになろうね。

○○最後の夏

去年は平成最後の夏だったけれど、今年はわたしにとって10代最後の夏だ。この8月が終わったら、わたしは20歳になってしまう。そう、つまり、はたち。おとな。

大人になんてなりたくない、っていうのはとても使い古された表現だけれど、これほど今の気持ちを表している言葉などどこを探しても見当たらない。成人するのは正直嬉しい。全部合法になるし、大好きな人たちと少しは同じ土俵に立てる。でも、わたしはまだまだ未熟でお子ちゃまだから、あと1ヶ月で完全に「大人」という線引きをされてしまうことがすごく怖い。世間知らずでわがままで頭が弱くて、朝起きれない。遅刻癖がひどい。あと、股もゆるい。てへ。こんなダメ人間が「大人」として分類されるなんて世も末じゃない?ぼくはまだこどもでいたいなあ!

こんな戯言を真顔で公共の場に書き綴っている時点で知能の低さが丸出しなのだけど、これが19歳と11ヶ月のわたし。今現在のわたし。20歳へのカウントダウン残り1ヶ月のこの8月は、ティーン最後の夏として盛大に楽しもうと思う。個人的には、毎日一人ずつ好きな人たちに会いたい。暗闇の中にいたわたしを知っている人に、ここまでなんとか出て来れたんだよってきちんと会って話したいな。これ以外にもまだまだやり残していること、やり残しそうなことがたくさんありますので私が後悔を引きずって20歳にならないように、みなさんたくさん遊んであげてください。

はてなIDのyarebadekiru20 というのは、20歳までに色んなことをする・色んなことに決着をつけるという意味でつけている。(あと、やればできるんだから、と言ってくれた人と20歳になったらどうにかなりたいって思ってたから。)実質、19歳のうちに引きずっていた過去の恋愛を捨てたし、先生や友人を含めて新しい出会いを見つけられた。どうにかなりたかった人ともまだなんとなく連絡は続いている。こう見ると19歳の私、めっちゃえらいじゃんね。

でもやっぱり大人になんてなりたくないや。永遠に、17歳女子高校生でいたいのよ。

 

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めちゃめちゃな余談ですが、中学生の頃からピーターパンの映画が大好きで、子供部屋の窓際にピーターが現れてネバーランドに行くところにずっと憧れていて。もう私は色んな楽しいこと、汚いこと、気持ちいいことをたくさん知ってしまって、きっとあのネバーランドではもう「大人」なんだろうな。だけど、法的に大人になるまでにはあと1ヶ月残されているから、ピーターがそこの窓辺まで迎えにきてくれないかなあ、なんて思っています。ま、夢見がち乙女もいい加減にしろって話ね。

最近のこと

最近調子が悪い。何があったわけでもないけれど、なぜか精神的に参ってしまっていて、生活することすらしんどい。テストが近いからいつもに増して睡眠不足だし、何もいいことないや。

この2週間ほど、嫌なことにすごく敏感になってしまった。今まで内心嫌だと思っていても笑ってやり過ごせていたことが、急に許せなくなった。笑って誤魔化すどころか、泣き出してしまうことの方が多くなった。その場では黙って耐えても、トイレや廊下で一人になった瞬間に崩壊してしまうこともザラにある。この間、実家のソファーで知らぬ間に泣いちゃってた時は流石に焦った。どうしてこんなに弱くなっちゃったんだろう。メンタル患者に戻っちゃうんじゃないかとすら思う。泣くのは悪いことじゃないと思ってはいるけど、特に何もないのに泣いてしまうのはなんだか疲れる。と言っても、涙は勝手に体内で生成されているから、泣かないようにするのも頑張らなきゃいけないし、これも疲れる。どっちにしろ疲れてるな、わたし。

昨日は、喧嘩していた彼氏と久しぶりに会った。次の日テストだから泊まりは無理って言っていたのだけど、なぜか流れでお泊まりしてしまった。てか、喧嘩してしばらく会わないつもりだったから、本当はちょっと会いたくなかった。だけど、久しぶりに二人でご飯を食べたら美味しかったし、無言でお互いの顔を眺めている時間が6割の居酒屋も、なんだか楽しかった。ちなみに、学校から近いからという理由だけでわざわざ新宿のホテルまで行ったのに、朝の四時半までパソコン叩いてたわたしも、レポートやってていいから泊まってっていう彼氏も必死すぎて笑った。あと、いつの間にか髪切ってて可愛いことになってた。朝帰る頃には少し元気になっていたけど、やっぱりまだ疲れているみたいで、やる気もないし、すぐに泣きそうになってどうしようもない。情緒不安定だね。

 

お昼に開けたコアラのマーチが、たったの2時間弱でシナシナになっていてびっくりした。おまけのコアラのカードは花嫁コアラで恋愛運upだったので、隣にいた友達にあげた。

わたしもあの子もなんだか疲れていたから、早く夏休みになってほしいなあ。

まよなか

最近、とても馬鹿になった。

まあ元々賢いわけではなくて、Fラン女子大に通うくらいの頭脳なんだけど、前はもう少しマシな脳みそだったと思う。

中高生の私は幸せではなかったから、幸せを探すために脳みそをフル回転させてきた。だけど今はほら。恋人とのベタベタな出来事、さっき会った親戚の話、来週一週間の予定とかで頭がいっぱいなのである。なんて、頭を使ってない生活なんだ。あと、生活リズムが狂いすぎて眠れないし、学校に行けなくなった。

今も、あと5時間後には起きてお化粧をして、可愛い女の子に変身して学校に行かなきゃいけないのに、昼間彼氏の家でぐーたら寝てたせいで全然眠れない。眠れない夜というのは、ひとりぼっちで夜の果てに佇む寂しさ、眠りに辿り着けない焦り、朝を迎えてしまうことへの恐怖なんかをものすごく敏感に感じ取ってしまう。そうして、次第に泣きたくなって、だけど泣くに泣けなくて、今日みたいに布団の中で夜が更けていくの待つしかできなくなる。

こんな情緒不安定な日々は、必ず誰かを傷つけてしまう。家族だったり、恋人だったり、気心の知れた友人達だったり。人を傷つけたくないし、人に気を使うのも疲れてしまったから、誰にも見つからないようにひっそりと眠っていたい。

そんな願望をつらつらと書きなぐっても、いつもと変わらず部屋の外は明るくなってきたし、朝の気配が部屋の中にも少しずつ流れてきた。ああ、苦しい。きっと明日からもたくさん泣いてしまうから、マスクという名の鎧を装備して、こぼれてしまった涙はこっそり隠して、どこかに忘れてきてしまった真赤に想いを馳せて暮らしていくよ。

 

朝なんていらないから、ずっと夜の果てにいたいのに。

よわい

所謂、避暑地に来ている。

まだ肌寒いくらいの気温だけど、ここに来たのにはちょっとした理由があって、まあそれはこの場において重大な話ではない。

それよりも、この連休でこちらに来てから、ずっと本を読んでいる。江國香織吉本ばなな。こちらで買い足したものもある。どの作品も私の好きな作風で、好きなものを選び取る力がついて来たなと感じる。

小説を読むと感傷に浸ってしまうのは私のクセなのだろうか、小説の中の人物と自分を重ね合わせてしまう。そうして、自分のこと、周囲の人のこと、将来のこと、色んなものを考えているうちにすっと眠ってしまう瞬間が好きだ。一人で考えてもどうにもならない事ばかりだけれど、未来のことについて思案するのは嫌いじゃない。

私は昔から、いつも将来に思いを馳せている子供だった。小学生の頃は、高校生になった自分の姿や、大きくなったら半自動的にできると思っていた彼氏、結婚したらこんな生活がしたいな、なんて幼いながらに妄想するのが好きだった。ああ、なんてませたガキ。

最近も妄想のような想像にまみれた日々を過ごしている。彼氏となった人とのこと、好きなアイドルのこと、サークルのこと、自分の将来のこと。どれも自分じゃどうにも出来ないことだ。それでも今この瞬間に考えていることが、もしかしたら将来本当になるかもしれないし、ならないかもしれないし、きっとこうなる、というある種の予感なのかもしれない。結局、将来のことをいくら考えても、今の私はあの頃思い描いたものとは違う道を歩いているし、とんでもないロマンチストのメンヘラが出来上がっている。考えあぐねても仕方がない。成るように成ってくれればいい。

 

今日はとってもいい天気だった。andymoriを聴くのにぴったり、と友達がツイートしていたのを思い出して、家に帰るまでの高速でひっそり聴いてみたら、なぜかもう会えないかもしれない人たちの顔が浮かんで、少し寂しい気持ちになった。

初夏の匂いと共に、今年も5月病という名の鬱病がすぐそこまで来ているのかと思うと憂鬱で仕方がない。この何年かPMSのような症状が顕著で、5月病と被る時が一番死にたくなる。もう既にしんどいけれど、今年も頑張って乗り越えよう。

焦燥感と期待で溢れるこの季節の到来を、今年も気づけたことがちょっぴり嬉しい。

 

 

これは余談だけれど、ひとり暮らしの家を離れて実家に帰ったら、化粧をしながら泣くことがなくなった。大森靖子を聴いても泣かない。だけどまたひとりになったら、毎朝自分を守るための化粧をしながらぽろぽろ泣くんだと思う。絶対彼女とか聴きながら街を歩いて涙をこぼしてしまうかもしれない。

それでもいいと思っている。その涙が限界の近くに立っている自分を守っていることを私は知っているし、本当に極限まで来てしまった時に助けを求められる人たちのことも知っている。そして、その人たちが私のSOSをきちんと受け取って助けてくれることもちゃんとわかっている。今までも、そうやって生き抜いて来た。他人に頼ってばかりではあるけれども、助けてくれる人がいるということは生きて行く中で大きな安心感に繋がる。

あと、小学生の私にお伝えしておきたいのですが、高校生で彼氏はできなかったし、大学生になったら人の男寝取って元カノうざいしだっせえwwwとかやってます。まじで男の趣味最低だから、今から覚悟しときな。

 

つぶれる

自分が潰れてしまいそうな時、必ずと言っていいほどネイルを塗り直す。少し形の悪い手の爪、マメや乾燥でボロボロになった足の先。色は大抵は赤。真赤。

本来肌色の部分に真赤という色を乗せる時、とても緊張する。派手な色だから特に目立つし、失敗するとめんどくさい。だけど、綺麗に色付けばとても嬉しいし、強くなれた気がする。

先日、あるバンドのライブに行った。最後に行ったのは1年前で、前回と同じ友達と一緒に行った。すごく楽しかったんだけど、ひとつ違和感が残っている。それは、とある曲で自分が泣かなくなっていたこと。去年は今までのこと、好きな人のこと、これからのこと、なんていうどうしようもないことを考えながら聴いて、ずっと泣いていた。苦しかった。だけど、今はもう涙も鼻水も発作もない。本来はそれが当たり前で普通なのに、なぜかとても物足りなく感じてしまっている。

そして、このバンドの曲を聴くたびに、いつも顔の見えない誰かのことを思い出す。きっと大事な人なんだけれど、顔が見えない、思い出せない、掴めそうで掴めない。確かなことといえば、その大事な人は今の彼ではないし、今まで好きだった人の顔とも違う。ああ、この気持ち、誰に持っていた思いだったんだっけ、なんて考えても答えは見つけられなくて。君は、誰なんだろうね。

このことは自分でも本当によくわからなくて、どう対処したらいいのかさっぱりで困っている。あら〜、そんな経験あったわねえ、なんて方いたらぜひ、わたしにご指導ください。

とまあ、「真赤」がひとつのキーワードのバンド。真赤な爪をしていたら少し強くなれそうで、きっと大事な人の顔も見えてくるんじゃないかって思っている。だからわたしは今日も爪の先を真赤に塗る。負けそうになった時、強い女の子でいることを諦めそうになった時、先端の赤を見て気を入れ直す。何かに追われていて、今にも潰れてしまいそうな自分をギリギリでも保つためにも、守ってくれる真赤を身に纏う。そうやって、少しずつ、大人になっていこうと思う。

周囲に敏感で、毎日意思を持って生き抜ける人になりたいです。

 

「たぶん恋じゃなかったんですね」

「きっと、恋と呼べるものじゃなかった」