こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

2020総括

年の瀬になり、あんなに嫌々やっていたサークルもあっさり引退し、一度距離を置いたはずの彼氏も気がつけば家で一緒に寝ているし、なんだかよくわからない気分のまま2020年が終わろうとしている。

今年の春、母方の祖父が亡くなった。昨年の春は父方の祖母が亡くなり、2年連続の近親者の死はなかなかメンタルにきて苦しかった。最期の1.2ヶ月間くらいは祖母や母、叔母たちと一緒に祖父の介護を手伝ったけど、ゆっくりと衰弱していき、やがて散っていくという人間の生を目の当たりにして、手伝いと言えど何もできない自分の不甲斐なさが痛かった。人の最期を看取った経験も初めてで、祖父が亡くなって3ヶ月くらいはずっとその場面を思い出してしまって、夜中にひっそり涙を流す日々が続いていた。夏休み後には通学が始まったこともあり、心も体も少しずつ元の生活に戻っていったけれど、やはり今年は全体的に暗い影が付き纏っていた気がする。

世間はコロナ、家族もいろいろ大騒ぎで昨年とはまったく違った1年を過ごしたけど、家の中にいたい私はコロナで外に出れなくなってほっとしたこともあるし、コロナのおかげで最期まで祖父と一緒にいられたのだと思うと、不謹慎だけど、この生活も悪くなかったなと思ってしまう。それに、もし私が中高生だったらコロナで学校に行けなくなってとっても喜んでいたんじゃないかとすら思う。

人と会えなくなったことで、自分にとって必要だったり、どうしても繋ぎ止めておきたかったりする人が明確に見えはじめたこともよかったと思う。会わないままもう会わなくていっか〜っていう人と、会わない間もずっと会いたい人の区別ができたけど、前者もまたご縁があれば会いたいし、その人と一緒に過ごした時間や、その人が私の生活にいてくれた事実を、心や頭の片隅でずっと覚えていられたらいいな。

こんなごちゃごちゃな感じで2020年が終わる。帰省とPMSの時期が重なり既に地獄の予感がしているけども、とにかく無事に、平穏に2020を終わらせ、綺麗に2021を始められたらいいなと思います。

2020年もお世話になりました。来月からもどうぞよろしくお願いします。

わたしを離さないで

   新幹線とか飛行機に乗ると創作や書き物が進む気がするのってなんでなんだろう。高校生の頃から、電車のような移動時間が一番集中できる場所だった。このブログも何回も電車で書いた。最近はもう片方の日記みたいなブログの方ばかり書いていて、気がつけばこちらをだいぶサボってしまっていた。

   今日は山に行くために新幹線に乗っている。感染リスクに怯えまくっている人間なので人がいっぱいいてうぎゃーってなったけど、朝ごはんとしてのサーモンの押し寿司を食べてこれをぽちぽちと打っていたら心が落ち着いて楽しい気持ちになってきた。今日はお化粧も綺麗にできたし、前髪も綺麗にセットできて、寝不足なのにとてもコンディションが良い。ベビーシッターみたいな彼氏がなぜか1週間くらいずっと家にいたので外に出るのも久しぶりな気がする。彼氏のご飯は上手だし美味しいけど、最近自分でご飯を作る楽しさを知ったのでひとり暮らしを満喫したい気持ちもある。この1年くらいずっと別れたいって言ってるのにセックスするとまた好きになっちゃって、まあいっか、ってなっちゃうのそろそろやめたいな。彼氏はとても真面目な人だけど、今の私は真面目を求めていなくて、もっとぐちゃぐちゃのどろどろで、今まで知らなかったような世界を知りたい気持ちの方が強い。この間友達と話して再確認したけど、彼はそういうところがちょっとつまらない。昨日は、将来自分の子供を共学か男女別学にいれるかで討論になり、女子校育ちの私は当然のように男女別学推しだけど、共学育ちの彼は男女別学断固反対でなんか悲しくなってしまった。お互い自分が育った環境が好きだったからこうなるんだというのはわかっているけど、小学校で男の子たちが嫌いだった私は女子校にいって本当によかったと思うし、宗教的な教育を受けてきたこともこれはこれでよかったと思っている。私はクリスチャンでもなんでもないしキリスト教の教えとか真髄はよくわからないけれど、聖書の言葉は好きだったし、聖書に合わせて身近な出来事を話してくれる先生や友達の紡ぐ言葉が好きだった。きっとこれは仏教校に通っていたとしても変わらなかったんじゃないかと思う。でも彼氏はその良さを知らない人で、その逆もしかり、ということが一生埋まらない溝のように感じて少し悲しかった。別れたいのに悲しくなっちゃうの、変だなあ。多分彼のことは好きだけど、結婚はできないとどこかで思っているし、彼も私と結婚するのは難しいと思っていることが発覚して、やっぱりちょっと悲しい。別れたらすぐ年下の可愛い女の子捕まえて知らんうちに結婚してるんだろうなーー。

 私が文章や言葉を好きなこと、いつか小説を書きたいこと、そこで人に認められたいことを友達には冗談まじりにでも打ち明けられるのに、彼氏にはどうしても言えない。恥ずかしいというよりもばかにされる気がするし、彼の世界と自分の生きている世界はとても似ているけれどどこか違っていて、彼の世界ではそういう無謀な夢を持つことが許されないような雰囲気を感じる。今ぼんやり感じているその違和感がはっきりしてしまうのが怖くて、どうしても彼氏には正直な気持ちを言えない。言えないことや秘密が多いと長続きもしないだろうなとは思う。結局彼のことは好きなんだと思うけど、お互いの求めている姿と現実の姿が少しずつずれていて、その溝が少しずつ大きくなってきている。好きって思ってるはずなのに平気で浮気しちゃうし、早く別れたいと思うし、好きってなんだっけ?みたいな気持ち。はあ、よくわかんないや。

 さて、今日は20歳最後の日。20歳を超えたら誕生日が怖くなったし、特別感がなくなった。20歳は怒ったり、どす黒い感情でいっぱいになってジタバタともがいていることが多かった気がする。トータルするとちょっとしんどい年だった。21歳は黒い感情を自分で消せるように、人に当たったり素っ気なくしないように、嫌なことがあってもスレずにいられる子でいたい。それから、人の幸せをきちんと喜んであげられるようになりたい。余裕がないときに人の幸せそうな姿見るとちょっときついこと言いたくなっちゃったりして、自分の心の狭さや性格の悪さ、意地悪な気持ちがあることを改めて実感して死にたくなってしまう。なので、自分の精神状態にかかわらず、他人と接することができるようになりたい、というのがとりあえずの21歳の理想かな?皆様20歳もお世話になりました、明日からもどうぞよろしく。  

 

モラトリアムが楽しい話

祖父が亡くなって約3週間経って、4月と変わらず祖母の家でぐだぐだ過ごす日々は継続中である。安心してください、ちゃんとげんきだしぱんつも履いてるし、ゼミの友達とパジャマで授業受ける夢叶ったね〜!と喜んでいます。

祖母の家は普通のマンションだけど広い大きな窓があって、ベランダの外には辺境の一歩手前みたいな町の住宅街が広がっていて、政令指定都市とは思えないくらいとても穏やかな時間が流れている。わたしはこの家がずっと大好きで、大学生になってもなんだかんだ2週間に1回くらいは来ているような気がする。

4月からはほとんどずっと祖母の家で寝起きして授業受けてたまーに実家帰って寝て、みたいな生活だった。大変だね、とよく言われるけどわたしはこの生活がとても気に入っていて、母や祖母と一緒にのんびり過ごすのが大好きで、この人生の夏休みみたいなモラトリアムが楽しくてたまらない。

これを書いてる今日(6/5)はちょっと蒸し暑くて、やけに喉がかわく夜で、少し霞んだ月と寝静まった町とお気に入りの音楽が心地よい。最近は相鉄線とJR直通記念のばらの花 × ネイティブダンサーが好きでずっと聴いている。好きな曲を聴きながら慣れ親しんだ横浜の町を眺める深夜はおセンチになれて楽しい。今日は風も気持ちいいしね。こういう夜に思い出すのは彼氏やらアイドルやらの邪念じみたことじゃなくて、ただこの町での記憶とか、一緒に過ごしてきた友達のこととか、ちょっと忘れたいこととか、素直で少し苦い思い出ばかりだ。最近は暇ながらも忙しいしプライバシーなんかもない日々なので、こんなに感傷に浸れる機会は久しぶりだった。やっぱり夜が好きだ。

さっき実家から祖母の家に来るまでの短い道中でお風呂の匂いがして嬉しくなった。外でお風呂の匂いを感じるたびに、この感性を享受してくれた人はどうしているだろうと思う。わたしは立派に外で嗅ぐお風呂の匂いキャッチャーみたいな人になりましたよ、ええ。

川端康成は別れる人には花の名前を教えなさいって言うけれど、外で嗅ぐお風呂の匂いの方が花よりもずっと忘れられないと思うけどなあ。

春になれない

これはちょっと前の下書き。

 

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今朝は起きたらすっと冬の寒さが入ってきて、雪の真っ白さが眩しかった。喉元過ぎればナントカみたいに、柔らかくて暖かい日々ですっかり忘れていた冬の寒さが急に帰ってきてなんだか体がびっくりしている。

昨日今日は祖父母の家でぐうたら過ごし、ゼミの先生に勧められていたキングスマンを見た。鬱かただの情緒不安定かわからないけど、キングスマンをレンタルして見始めるまでに2回くらい姉と喧嘩した気がする。最近どうも毎日くさくさしてしまって気持ちが落ち着かない。それでもキングスマンはとっても面白い映画だった。私は昔からなぜかイギリスが好きで、目の保養と称してmen's FUDGEを買って眺めているような女子高生だったし、何回か通った楽器のサマースクールもイギリスだった。だから、アクションもの+英国紳士とかたまらん〜〜〜ってなっちゃう。なのでこれはとってもいい映画だ。

夜は家で久しぶりに楽器を開けた。久しぶりだけど割と弾けるじゃん、なーんだ、と調子に乗ってたくさん弾いたら肩と腕がバキバキになった。日々の努力が大事なのはわかるけど、定期レッスンなしで毎日練習するのってやっぱり難しいな。

楽器を弾いている時は、大抵過去のことを思い出している。今日は小さい頃通っていたバレエ教室のことを考えていた。毎週月曜日に車で送ってもらっていた長い坂道の途中にあるスタジオと、結構怖かった先生のこと。レッスンでもそれ以外でもかなり怖い先生だったけれど、入室の日から1年ごとに「よく頑張ったね」と小さなプレゼントを渡してくれる可愛らしい面もある先生だった。私の記憶だと、シールとか、いい匂いのするペンとか、付箋とか、メモ帳とか。どれもバレリーナの女の子やチュチュの絵の、バレエ教室にふさわしいもので全部可愛かった。年少さんからお教室に通って、中学受験で辞める頃には同じクラスの子達の中で一番と言えるくらいの古株だったと思う。長く通ったお教室だったからまた戻るつもりだったけれど、中学生になってみたら部活のギターの方が面白くなってしまって結局最後のレッスンの日以来一度も行ってない。当時は音楽の方に気持ちが向いてしまったことを戻らない理由にしていたけど、ほんとは小4の時塾の都合で休んだ1年の間に周りから遅れをとったのがかなり苦しかったから。古株で先生にわりと可愛がってもらっていた(と思う)のに、1年の間に全然できなくなって、周りの同級生たちに教えてもらうことが苦痛だった。

あの時「1年休んだんだからできなくても当たり前じゃん」って許容できなかったプライドの高さは今も健在で、こんな邪魔なプライド早く捨てちゃえばいいのにってずっと思ってるのに捨てられる気配が一向にない。完璧主義でプライドエベレストの生きづらさはいつになったら緩和されるんだろう。見栄を張りたくなっちゃうし、出来ないことを素直に出来ないと言うことが恥ずかしくて、出来なくて当たり前のことでも出来ないと自分の中で許せなくなってしまう。この性格のせいでバレエだけじゃなくて楽器でも苦しい思いをしたじゃんね、それなのにまだ待ち続けるの?その無駄なプライド。クソくらえよ。

なんかオチがなくなったけど、言いたいことをまとめると、黒歴史を思い出して死にたくなっちゃう時ってみんなどうしてるんですか?叫びだしたい衝動をどうやって抑えるのがいいんでしょう。教えてください、切実に。

 

海の見える街とビール

先日の同窓会で恩師に会った。恩師というと大層なものに聞こえるけれど、実際は仲良しでとても信頼してる、というフレーズが当てはまる先生。

卒業してからも何回も高校まで会いに行ったし、悩みを抱えているときは大体先生の顔が頭に浮かんで、あの人ならなんて言うだろう、とか考えてみる。そんな先生とまさか同窓会で会えるなんて思ってもいなかったから、会場に行って顔を見た瞬間に超キョドって見えていないふりをしてしまった。だって、ホントにいると思ってなかったし一番最初に目に入った人が一番会いたかった人だなんてもうびっくりしちゃうじゃん、、。乾杯までの時間でもチラチラ見てしまったから先生も気がついてたんじゃないかなと思う。でもまあ、去年も何回も会ってるし会っていない時間の溝、とかいう関係でもないしな、、と言う感じで適当にしてた。

スパークリングで乾杯してから友達とビール飲みたいね、となってビール瓶の元に向かったらなんと先生が来て、いやこれはチャンス!!とばかりに「先生!!ビールお願いします!!!」と頭を下げてグラスを差し出すドレスの女子大生3人。どこのおっさんだよ…と自分でも思ったけど無事に注いでもらえたので大満足である。3年間迷惑をかけまくってたまになんなんアイツ?ってキレたこともある(し、多分向こうもあると思う)けど、受験の前日に私の単語帳に涙ぐみながらメッセージ書いてた先生にビールをお酌してもらう日が来るなんて、誰が想像できた?それだけで幸せだったけど、そこで撮ってもらった写真がまた超良い写真で、あー、すごい幸せだったな、、と今でも余韻に浸ってしまうのである。先生も友達も私が高1(長い子は中1)の時からずっと見守っていてくれて何かあるたびに助けてくれた人たちだから、みんなで写真が撮れてすっごく嬉しかった。てか、私得でしかなかった。

どん底にいてもずっと見捨てないで一緒にいてくれた人たちとはたちのお祝いでビールを飲む、と言う行為は言葉で言い表せないほど素敵で、ある種の達成感すら感じる。この喜びを表す言葉としていつもなら「エモい」の一言に落ち着いてしまうんだろうけど、今回ばかりはエモいなんて簡単でありふれた言葉に落ち着けたくなかったので、うまく言えないなりに出来事だけでも文字に残しておこうと思った。いつかこの気持ちがうまく言葉にできるように。あるいは、言葉にできなくてもずっとちゃんと覚えていられるように。またいつかどこかで同じような体験をした時に、あ、これってあの時だ、って思い出せるようにね。はあー、地元最高だ。。

事実ばかりを書き綴るブログは面白くないと感じるけれど、自分の内的思考はいま期末レポートで発散されているので今日は事実だけでご勘弁を。さ、レポートやろ。

さよなら冬休み

駅まで送ってもらった父の車のラジオで、さよならベルが流れていた。2日後にまた帰ってくるとはいえ、帰省していた姉も今日で帰るし、なにより冬休みは今日で終わり。明日からまた大学でぼんやりする日々だ。さよならベルは恋人との別れの曲だけれど、今日の私にとっては家族と冬休みとさよならの曲に聴こえてなんだか悲しかった。川谷絵音の声は切なくていいね。

今日はこれから友達と会ってから帰る。遅刻してごめんね。他の友達は冬休み中に何回も電話をかけてくれたのに出れなくて、かけ直すタイミングもなくて申し訳なかった。結局冬休みも会えなかったなー。会いたかった。

さっき最寄駅から見えた夕焼けがとっても綺麗だった。薄いオレンジ色に染まっていて、電車が来て出発する頃にはもうほとんど真っ暗になってしまったけど、少し暖かい気持ちになれた。

最近メンヘラじゃなくなったねって言ってもらうことも多いけど、実はおうちにいるとどうしてもわがままになって甘えたくなってしまって、心無い言葉を家族にぶつけてしまったりする。もちろん怒っていたこともあるけれど、いちいち怒るのは疲れてしまう。はやく怒るのをやめたい。悟り、開きたいな。

 

ゆうがた

しばらく更新を止めてしまっていた。前に書いたのは40日前だったので、一ヶ月以上も止めていたことになる。文章は書く回数を重ねなければうまくならないとわかっていても、どうしても毎日を生き抜くだけで精一杯になってしまう。今日もなんだか疲れたな。

サークルまで時間があったのでひと眠りしようと家まで帰ってきたのだけれど、帰ってきてまごまごしていたら寝るほどの時間もなくなってしまった。この何日か、睡眠不足が続いている。普段の帰宅時間は23時だし、そこから慌ててお風呂に入ってSNSをチェックして、ほろよいを片手に課題の本を開いてぼーっとしていると、あっという間に明け方になってしまう。寒くなると途端に起きれなくなるし、たくさん食べてしまうし、いつも眠くて仕方がない。まるで体が冬眠したがっているみたいだ。

昨日は久しぶりに恋人とデートをした。彼にはもう別れたいと告げていて、さっさと別れればいいものの所属コミュニティの関係上なんとなく会い続けてしまっている。普段はもう別れたい、この人とは将来が見えない、となっていて早く別れたいはずなのに、いざ会って飲んだりホテルに連れ込まれたりすると心がどうしようもなく苦しくなってまだ好きなのかもしれない、と思ってしまう。セックスしたら愛しい気持ちになってしまうし、可愛いって頭を撫でたり抱きしめてくれるのが好きで嬉しくなっちゃう。ずるずるのずぶずぶ。別れなくてもいいのかなあとも思うけれど、このまま彼と付き合い続けて結婚するのは嫌だからはやく別れなきゃね。

今日の昼間はなんだか冬っぽくて冷え冷えだったけれど、夕方になって家に帰る頃は秋の夕方のような優しい寒さだった。でもまた外に出たら寒くて死にそうになるんだろうなー。面倒だしこのまま寝ちゃいたいや。もう永遠に、夢から目覚めたくないよ。