こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

過去の人のはなし

  先日、好きだった人に会ってきた。2年ぶりに会ったその人は、最後に会った日からあんまり変わっていなくて、強いて言うなら、ちゃんと革靴を履くようになっていたことくらいかしら。2年間のうちに、気づいたら嫌いになっていた。大好きが最高潮の時にぷつんと会えなくなってしまったから、その終わり方がよくなかったんじゃないかなって今は思っている。

今回会うってなった時も、本当は行きたくなかった。行くかどうかギリギリまで迷った。会ったらまた好きになっちゃうんじゃないかとか、逆に嫌いになってしまったことを実感して泣いちゃうんじゃないかとか、そんなことばかりで、とにかく待ち合わせ場所まで吐かずに行く事しか頭になかった。

 

結局、何もなかった。

私は吐かなかったし、好きとも嫌いとも思わなかった。そうしたかったわけではないけど、そういう雰囲気にもならなかった。もう本当に、どうでもいい人間になったんだなと思った。だけど、あの人が私に「2年前と全然違う、綺麗になったね」みたいなことを言った瞬間、あ、勝った。って思った。あなたにそう言わせるために、ちゃんとお化粧して、髪を巻いて、彼氏もどきに太鼓判を押されたいちばんの服を着て、とびきりのネックレスと指輪とマニキュアの最強装備で闘いに行ったんだから。そう言われなきゃ、なんの意味もなかったんだもの。たとえお世辞だったとしても、言わざるをえないくらいの女にはなったのよ。

彼とお茶をした後、はやめに解散したので友達のバイト先に行ってひとりで飲んだ。おでんが売りの飲み屋さんで、彼との思い出とおでんをつつきながら、時折梶井基次郎の小説を開いていた。暗い女だな、と我ながら思う。ついでなので件の彼と共通の知り合いに連絡したら案外すぐ返事がきていい気分になった。すぐ酔っちゃったけど。

  なんで好きだったとか、どうして執着していたとか、もうそんなことわからないくらい遠い人になってくれて安心した。カタチだけ綺麗なことなんて言いたくないけれど、もうこのまま遠くにいって、お互いさっぱり忘れて暮らして、でもふとした時、2年に1回くらい思い出してくれたら嬉しいなって思った。連絡はいらないし1分で忘れていいから、あの子は元気にしてるかなってちょっと考えてくれたら嬉しいかも。どれだけ嫌いでも興味がなくても、やっぱり私の人生を良い方向に動かしてくれた恩師であることには間違いないのだから。

 

これであの人と私を巡る旅は終わった。忘れた頃に夢に出てきたり過呼吸になったり、大変な旅だったね。運命ならきっと、またどこかで出会うんだろう。

ちなみに、この一連のことをストーリーで親しい友達向けに投稿したら、みんながよくやったね!って褒めてくれた。ああ、高校を卒業してしばらく会っていなくてもみんなは私と彼のことを覚えていてくれて、それでいてお疲れ様!なんて言ってくれるのか、と感動してしまった。私は本当に素敵な人たちに巡り会えたんだな。彼女たちと出会った母校の、陽が射す廊下が懐かしい。

 

3月、雨の横浜駅西口でお別れしたあの日から、ようやく私の時間が動き始めたみたいだ。もっと、素敵な恋愛をして素敵な女性になりたい。馬鹿じゃない、賢い女になろう。

 

 

P.S. 最近彼氏もどきと別れたいです。付き合ってもいないけど別れたい。大人の男性と付き合いたいなあとかなんとかもにょもにょ…。会いたい大人はいるけれど、なんせ単位落としたから会ってくれないのでは?と危惧しています。

 

P.S.のP.S. このブログの一言に設定してる「さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う」って、この記事まんまやないかーいって思いました。こういうことは書くと味が薄くなるというか、無粋だとは思うのだけど、あまりに意図してなかったことなのでつい書きたくなっちゃった。てへ。