こっちむいて

さよならだけを伝えるつもりがありがとうと言う

よる

これは3月の初めに書いて下書き保存にした記事だけど、読み返してみたらなんだかよく出来ていた気がしたので公開にします。

 

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夜になると心が落ち込む。

夜だけじゃなくても、毎日なんだか元気が出ない。花粉症かなあ。いや花粉症なんだけど。そうじゃなくて。

とにかく、夜は悲しい。夜になると会いたい人や、もう会えなくなってしまった人のことを思い出す。死別したわけではないけれど、様々な理由でもう会えなくなってしまった人のことを。どうしてあの時こう言ってしまったんだろうとか、こんな風に接してたらもっと違う現在があるんじゃないかとか、そんなことしか考えられなくなる。

 

中高生の時、大好きな友達がいた。

その子とは好きな音楽とか、趣味とか思考とか、結構似てたからすぐに仲良しになった。一緒に映画も観に行ったし、学校の帰りに寄り道だってした。でも、彼女はいつに間にか学校をやめてしまった。

彼女のおうちの事とか、彼女の気持ちとか、少しだけ知っていたけれど、私は何もしてあげられなかった*。 学校を辞めて正解だったと彼女自身が思っている事も知っているし、辞めてからの彼女は生き生きしてるなって思った事もある。あるけれど、私はやっぱり自分勝手だから、彼女ともう少し同じ時間を共有したかったなとも思う。

学校とか勉強とか、そんなもの全部抜きにして、好きな人の話とか、Greendayが好きな話とか、ちょっと難しい哲学っぽい話とか、たわいもない話を延々繰り広げていたあの日々が、私は好きだった。

この文章を彼女が観たらどう思うだろうか。もう私のことなんて嫌いかもしれないし、過去の話を繰り返すなって思うのかもしれない。でも私は未練ったらしい女なので、少しでも私と過ごした時間のことを覚えていてくれたらいいなって思うし、欲を言えば、楽しかったって思っててほしい。

 

彼女と最後に連絡を取ったのはもう1年以上前のこと。それも、ちょっと私が突き放す形になったまま終わっている。謝りたいなって思うけど連絡する勇気がなくて、自分はすごく弱い人間なのだと実感している。

 

また彼女と話せる日が来たら、今度はoasisアジカンの話をしよう。

 

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ちなみに、この文章を書いた数週間後、勇気を出してインスタにフォロリクを送ってみたらさらっと許可されたし、DMで少しお話もした。元気そうでほっとした。今は、ご飯でも行こうね、たくさんお話しようねって言っているところ。彼女との時間が再び動き出すのが、とても楽しみ。

 

* してあげられなかったと言うのは限りなくエゴで、「〜してあげる」は自分が嫌いな言葉遣いだと1年後の自分は思ったので補足。補足の付け方あってるかわからんけど。(2020.06.08)